コインランドリーで出会ったおっさんの話。
新しいのを買い替えるまで歩いて10分のコインランドリーで洗濯してたんだ。
引用元: ・コインランドリーで出会ったおっさんの話
そこのコインランドリーも、なんというか、ボロい田舎の片隅にあるような、好意的に見て?味のある方?建物だった。
いつもなら明るい時間に済ませるんだが、ここ最近朝から晩まで働き通しだった上、洗濯物も溜めてしまって、さすがに人間的にヤバイと思ってね。
田舎の暗闇の中に、今にも切れそうな電球がチカチカと光る建物をイメージしてくれ。おまけに中は読み捨てられた古い雑誌と飲み捨てられた缶が転がっている。
汚いのはいつものことだし、夜遅くに洗濯に来るのも初めてのことじゃない。
ただ、この日は違っていた。
ボロの服をまとったおっさんが1人、壁に背中を預けて座っていたんだ。
顔を伏せてるから寝てんのかと思ったら、目は据わってるし、傍には安酒のカップがあるしで、「あ、これは関わったら面倒だ」と俺の本能が告げていた。
さっさと洗って後にしたいところだが、こういう時ほど時間が経つのが遅く感じてしまうものだ。
スマホで時間を潰そうにも、この辺りは電波が悪く、ブラウザの立ち上げの遅さにストレスがたまる。
意味がないと分かってはいるが、切り替わるのが遅い画面をタッチしていたら、突然おっさんが話しかけてきた。「おい、サトウ!」ってね。
「えっ?」
「おめえ、サトウだろ!?」
「…ち、違いますけど」
多分、俺の声は震えてたと思う。
これを読んでるお前らも、俺と同じ立場ならすげービビると思う。
深夜に知らないおっさんと2人で、お前に目が据わった酔っ払いだ。いやぁ肝が冷えたね。俺ここで殺されるんじゃないかって思ったよ。
「そうか。おめえ、サトウじゃねえのか」
「そ、そうですね」
「じゃあなんて名前なんだ」
「えっ」
「名前は!」
「す、スエツグです!」
「そうか、お前、スエツグか!」
突然の凄みに、俺はとっさに本名を名乗ってしまった。
嘘の名前を言えばよかったと今なら思うが、その時は恐怖心でそこまで頭が回らなかったんだな。というか、同じ立場になったら誰でもこうなると思う。
おっさんは、「スエツグ、スエツグ…」とブツブツ呟いている。とても不気味だ。早く帰りたい。
「おい、スエツグ!」
「は、はい!」
「おめえ、いったい何してんだ!」
「せ、洗濯をしていますが…」
「そうか、洗濯か!」
「洗濯です…」
そしておっさんは「洗濯、洗濯…」とブツブツ呟いて、突然、無口になった。
不気味とも恐怖とも、なんとも言えない沈黙が流れた。落ち着かない。
おっさんはピクリとも動かない。もしかして死んじまったんじゃないかと思ったね。そう思うくらい静かだったんだ。
この空間から逃げたくて、飲み物を買おうとコインランドリーから出ようとしたら「おい、サトウ!」
「いや、スエツグですけど」
よかった!生きてた!と、ちょっと安心した。
「おめえ、どこに行くんだ!」
「飲み物を買いに行くところですが…」
「そうか!飲み物だな!」
コインランドリーからちょっと歩いたところにある自販機で、なぜかおっさんの分の飲み物も買ってコインランドリーに戻った。
おっさんは相変わらずブツブツ何かを呟いている。
「あの、もしよかったらコーヒーを…」
「サトウ!」
「うわぁ!」
「おめえ、誰かを憎んだり、恨んだりしたことはあるか?」
「えっ」
唐突な質問に、俺は言葉が詰まった。
ていうか、そんな質問されてもなんて答えていいかわかんねーよ。
「恨んだりですか…ないですけど」
「嘘をつけ、嘘を!」
「…まあ、そう言われれば、誰かを妬んだりとかは、あるっちゃありますが」
「本当かよ!」
どっちだよ!
どういう答えだったら満足なんだよ!
おっさんの言動に慣れてきた俺は、だんだん思考に余裕が出てきた。
酔っ払いって、なんであんな支離滅裂なんだろうな。
「なあ、サトウ」
「スエツグです」
「そうか。サトウ、俺はな、ずーっと誰かを憎んで生きてきたんだ」
「はぁ…」
「おめえにはわかんねーだろうな、サトウ。順風満帆に人生を歩んできたお前には」
おっさんは、ポツリポツリと、話し始めた。
「俺はな、昔から、誰にも好かれも愛されもしなかったんだ。俺の親はできのいい兄貴ばっかり可愛がって、できの悪い俺のことは見向きもしなかった。
小・中と話す友人はいたが、それだけだ。深く親睦を深めることも本音を話すこともなく、過ごした。高校に上がっていじめが始まった。標的は俺だ。仲の良かった奴らも、いじめる側に回った。最低だったね。逃げ場もなかった。
だから、大学に行って、あいつらを見返すために一流企業に就職して、誰もが羨むような人間になってやろうと思ったわけだ。そしてとうとう、役員として最高のポストを手に入れたわけだ。妻は取引先の社長の娘。最高だった。…先月の同窓会まではな」
「同窓会に、俺は最高のスーツと時計、靴、一流のもので着飾って足を運んだんだ。地元の居酒屋で開いてたから、浮いた格好だったが、俺の目的は俺を見下した奴らを見返すことだったからな。
誰もが羨むだろう、後悔するだろうって……思ったんだ」
おっさんの声は、最初の覇気あるものからだんだんと弱々しくなっていった。ただの酔っ払い、または浮浪者だろうと思っていたおっさんへの印象がなぜだか一気に身近に感じられたね。
「事実、羨ましがられたさ。誰もが羨む会社、肩書き、家庭。そう、誰もが羨ましがるものを俺は手に入れた。
だけど、何故だろうな。俺を羨ましがるやつらのほうが、とても生き生きして見えたんだ」
「正直言って、奴らが就いてる仕事はお世辞にもいいとは言えない。だけど、愚痴1つにしても、その仕事に対するプライドややりがいというものを感じたんだ。
話してる奴らの表情から、辛いこともひっくるめて、楽しいっていうのがわかるんだなぁ。わかっちまうんだ。この仕事をしたくて、選んだ道だっていうのが。
それに比べて俺はどうだ。虚栄心と復讐心を満たすためだけに生きてきた。そういう道を選んだんだ。
…自分の成し遂げたい道だったはずなのにな。どう違っちまったんだかなぁ」
「なあ、サトウ。俺は復讐を遂げたらスカッとするって思っていたんだが、どうやら違うみたいなんだな。結局、それは他人に振り回された生き方で、自分の本当の幸せじゃねえんだ。
俺の幸せはなんなんだって思ったら、なーんにもなくなっちまった。俺が手に入れたものは、俺を幸せにするものではなかったらしい。本当にやりたいことっていうのが、分からねぇ今年ほど虚しいもんはねぇよな」
…正直、こんな重い話をされても、どんな言葉をかけていいのか俺にはわからない。
だが、ただの酔っ払いのおっさんだと思っていた人間にも、何かしらの人生のドラマがあって、このおっさんを見過ごしていたら、なんていうか、本当におっさんが死んでしまうのではないかとさえ思った。
「…なんと言えばいいのかわかりませんが、やりたいことっていうのは、無理に探さなくとも、今目の前にある幸せを見続ければ、自ずと出てくるのではないでしょうか」
「目の前の、幸せ?」
「ええ。先のことばかり考えていると、今目の前で起きていることや、瞬間瞬間の出来事を取りこぼしてしまうと思うんです。多分、目の前の幸せを大切にしていけば、それだけで生きがいになるんじゃないでしょうか」
「…いいこというじゃねえか、サトウ」
「…スエツグです」
タイミングを見計らったかのように、ピーと洗濯が終わった合図がなった。
「それじゃあ、すみません。洗濯が終わったので、これで失礼しますね」
「おい、サトウ!」
「いや、だから俺は…もうサトウでいいです」
「話を聞いてくれてありがとうな。お前も頑張れよ」
「…おっさんもな」